Go go paradise  虚仮不実写真日誌

撮るべき被写体

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鄭周河(チョン・ジュハ)さんのインタビューより抜粋

韓国の恵生院(ヘセンウォン)での撮影作業を通じて、私には、人間に対する悩みがありました。私には、そのような負の部分を撮影して、さらけ出す資格があるのだろうか。そのような表現に問題はないだろうか。自問自答の末、考えたのは、結局相手ではなく、私自身の側、写真がもつ暴力性でした。それで私は、意図して街で老人たちに会う度、写真の暴力性の中でも、もっとも強いフラッシュを昼間に光らせてみることにしたのです。道を歩いている時、突然私がピカッとカメラのフラッシュを浴びせれば、当然それを受けた人たちは凄く驚きます。それにより孤立している老人たちの姿を、写真としても孤立させ、真の姿を写し出したいと考えたのです。写真は、それ自体が非常に暴力的です。写真を撮るとは、朝鮮語では、「斧で人を打ち下ろす」という意味もあります。英語でも、「シューティング(shooting)」と言いますが、それは拳銃で撃つのと同じ意味です。そういう過程を経て、私が作ったのが、『写真的暴力』というタイトルの写真集でした。写真そのものが暴力性を持っていますから、私は、南相馬を初め、ここ福島県に来て、住民たちやこの地域が抱え込んでいる難しい問題を、果たして自分がきちんと写せるだろうかと考えてきました。結局は、位置という問題かも知れない。撮る者と撮られるもの、お互いの位置を確かめること。相手が私に見せる姿を超え、私が何を把握できるか、深く考えることです。そしてこそ、もう少し意味のあることができるのではないか。学んできたのは、そういうことでした。



カミさんが貧血でぐったりしてしまい、医者に付き添ったりお粥作ったりしてるうちに街に出そびれ、Eテレの「こころの時代」という番組をチラ見してたら、ある韓国人の写真家の特集で惹き込まれてしまった。
かなり哲学的につきつめた写真を撮る人のようだが、福島の南相馬に2年通って撮られた写真自体の考え方が素晴らしかった。

「ここは本当に美しいところですね。まるで韓国のカンオンドにある山里のようです。カンオンドは大変貧しいところですが、季節を問わず本当に綺麗です。私はここに来て、カンオンドを歩いているような印象を持ちました。私が来た十一月は、本当に秋が真っ盛りの時期でした。美しい紅葉で満ち溢れていて、彩りが豊かでした。とても新鮮な空気、晴れ渡った空、その中には放射性物質も混じっていたのですが、そういうものに出会えたのです。それは変わることなく、数万年から数百万年の間、そこにあり続けてきました。そしてこれからも四季は絶え間なく続き、その姿は変わらないでしょう。
私はそうした動かすことのできない本質を、自分の写真を通じて見せることにより、この被災地に暮らしている方々が、ここはどこなのか。私たちは、何を見ながら育ち、どこに住んできたのかということを真っ直ぐ見詰めれば、私の写真もよりよいものになるのではないかと考えました。ここは果たしてどんな場所だったのか。私たちが本当に見なければならないのは、まさにそういうことだろうと思うのです。実は私は、日常の中に潜むきざし、兆候に目を向け撮影してきたと思います。長い歳月、写真の勉強を重ねながら、変わらなかった私の関心は、生活の中にある兆候や意味でした。そのようなものを写真で表現しようとしてきたのです」 「カメラの先にあったのは、集落に寄り添うようにこんもりと茂った森です。  今、ここに来ながら見ますと、この村の方々にとって、ここはとても重要なところだったような気がしました。樹齢を重ねた樹も竹林もあります。とても美しく、みなさんが喜んで訪れていた場所だと思いました。周りはこんなに荒廃していますが、樹はめげずに立っている。ここに暮らす人が、この樹を見ながら、何を考えて来たのか。どういうことを今考えるべきなのか。それが私の心の中に入ってきたのです」


スナップショットの擦過的な盗撮ショットを否定はしないし、これからもたぶん捨てない方法論だけど、いま一度その先に何を見ようとしてるかは整理しないとだめだな。。
by oharax | 2014-09-06 14:45 | Comments(0)